恂{邦雄 略歴 (短歌朝日2002年11・12月号より補足)
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※先生のお名前は、正しくは「恂{」ですが、通常、新聞雑誌などでは「塚本」の表記が使用される例が多いようです。
朝日新聞より引用
著者に会いたい 塚本邦雄さん デビュー50年、全集完結作歌は想像力を鼓舞する 1巻が600ページを超える全16巻の「塚本邦雄全集」(ゆまに書房)が6月に完結し、11月11日には、大阪市内のホテルで祝賀会が開かれた。生前に「全集」を作ってしまうと、作歌がやんでしまうのでは、という周囲の心配をよそに、うたい続けている。 「コンスタントに? いえ、自由自在です。テーマがあればいくらでも歌は作れる。1晩に300首できることもあれば、1週間で5首のこともある。まあ、後者の方が楽ですな」と言って、高笑い。 去年8月、胆管結石と急性肝炎を併発し、入院。死線をさまよい、10キロ以上やせた。今、往時の体重を取り戻し、ふっくらつややかに見える。しかし、博覧強記で鳴らした記憶が混乱することがあり、20年続けた歌会も2月で辞めた。 昨秋からつけはじめた自筆のノートには数百首の書き付け。結社誌「玲瓏」の9月の巻頭歌はその一部だ。 「而立、不惑、夢のごとくに過ぎし頃、生温き夏の風物の中」「他人に問はれて七十歳代の末と答ふ あと十年を経(ふ)るとも同一」。長男で作家の青史さんが「やはり、老いや死が歌のテーマになってきているようです」と解説すると、すぐに、横から大きな声が飛んだ。「私は生活短歌は一切作っておりません! 短歌はルポルタージュではない。もっと抽象的で想像力を鼓舞するものです」 第1歌集『水葬物語』から今年でちょうど半世紀。その歌は古びるところなく、私たちの前にある。「万國旗つくりのねむい饒舌がつなぐ戦争(いくさ)と平和と危機と」。地球規模の「テロ」と「報復」が続く今日、歌の偉大さをたたえるべきか、進歩しない人の営みを嘆くべきか。 |
短歌朝日より引用
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恂{邦雄さん訪問記 短歌朝日編集長・越村隆二八月七日は恂{邦雄さんの誕生日です。恂{さんが八十二歳になるこの日、大阪府東大阪市南鴻池町二丁目のご自宅におじゃましました。訪問前、次のような会話が編集部でありました。 私「誕生日だから手ぶらというわけにもいかないし、先生は何がお好きなんだろう」 編集部員「甘いものですかね。でも、恂{さんの”いま”は、誰も分からないんですよ」 私「どんな具合なんだろう。お会いできるのかな?」 編集部員「ご子息の史さんが窓口です」 恂{宅は、遠くに生駒山が望める住宅地にありました。私の右手には、いろいろ考えた挙句の「メロン」がぶら下げられていました。 一階は史さんの仕事場と居間で、ここで撮影の打ち合わせをしましたが、あいさつがすむかすまないかのうちに、史さんが 「おやじを呼びますよ。二階にいますから」 これには私もびっくりで、 「いいんですか。先生は本当に大丈夫なんですか。ご無理はなさらないで下さいよ」 しばらくして、恂{さんが、史さんの奥さまの肩を借りながら、階段を降りてきました。廊下のところで、 私「先生、お元気そうですね」 恂{「撮影かね。君、ありがとう。頼むよ」 恂{さんの、特徴のあるあの広い額はつやつやとしていました。口調もしっかりし、体に張りがありました。 間もなく恂{さんは二階に戻りましたが、私が驚かされたのは、今年七月七日に行われた東京歌会の評を見せられた時です。いっぱい書き込みがあるうえ、ワープロ特有の書体で打たれた「鸛」をきちんと書き直しているなど、精神の集中が少しも鈍っていないのでした。 「恂{先生は健在だ」 帰りのタクシーの中で、私はそうつぶやいていました。 (短歌朝日2002年11・12月号掲載) |