塚本先生のご逝去に関して
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10日の朝刊にて、塚本先生のご逝去が伝えられました。 |
毎日新聞より引用
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訃報:塚本邦雄さん84歳=前衛短歌の第一人者
前衛短歌運動を主導した戦後の代表的歌人で元近畿大教授の塚本邦雄さんが9日午後3時54分、呼吸不全のため大阪府守口市の病院で亡くなった。84歳だった。葬儀は13日の予定。自宅は東大阪市南鴻池町2の15の4。喪主は長男で作家の青史さん。 |
産経新聞より引用
| 歌人の塚本邦雄氏死去 84歳 前衛短歌の旗手で、戦後の短歌界に大きな影響を与えた歌人の塚本邦雄氏が9日午後3時54分、呼吸不全のため大阪府守口市の病院で死去した。84歳。滋賀県出身。葬儀・告別式は13日に大阪府東大阪市荒本西1ノ18ノ2、東大阪玉泉院で。喪主は長男で作家の青史氏。 9日、施設で足腰のリハビリ中に食べ物がのどに詰まり、病院に搬送されていた。 大阪の商社に勤める傍ら、歌人・前川佐美雄に師事して「日本歌人」に入会。1951(昭和26)年、第1歌集「水葬物語」を刊行。以後、作品を次々に発表し、岡井隆氏、故寺山修司氏らとともに前衛短歌運動の中心的存在として活躍した。作家の故三島由紀夫とも交流があった。 象徴主義的、反写実的作風は、それまでの自然主義や写生論などで事実性にとらわれていた短歌界の常識を大きく覆した。鮮烈な美と情念の世界を壮麗な日本語を駆使して歌い上げ「言葉の魔術師」と呼ばれた。 「日本人霊歌」で現代歌人協会賞、「詩歌変」で詩歌文学館賞、「不変律」で迢空賞、「黄金律」で斎藤茂吉短歌文学賞、「魔王」で現代短歌大賞など多くの賞を受賞している。 89年から10年間、近畿大教授を務めた。90年、紫綬褒章を受章。短歌結社「玲瓏」主宰。 「定型幻視論」「茂吉秀歌」(全5巻)などの評論のほか、小説「藤原定家」「紺青のわかれ」も著すなど、旺盛な活動で知られた。「塚本邦雄全集」(全15巻)が出ている。(共同) (06/10 08:14) |
産経新聞より引用
前衛短歌の第一人者 塚本邦雄氏 死去![]() 塚本邦雄 近代短歌に前衛的な手法を持ち込み、現代短歌の確立を担った歌人で、元近畿大学教授の塚本邦雄氏が9日午後3時54分、呼吸不全のため大阪府守口市の病院で亡くなった。84歳。滋賀県出身。通夜は12日午後6時、告別式は13日午前11時半、同市荒本西1ノ18ノ2、東大阪玉泉院で。喪主は長男で作家の青史氏。葬儀委員長は現代歌人協会理事長、篠弘氏。 大阪の商社に勤務するかたわら、昭和22年から前川佐美雄氏に師事して歌作に励んだ。26年、第1歌集『水葬物語』を刊行。以後、暗示に富んだ表現や韻律を志向する歌風で、近代短歌とは異なった現代的な前衛短歌を模索した。31年の第2歌集『装飾楽句』で歌壇に衝撃を与え、同じ年に大岡信氏と交わした短歌の方法についての論争は、前衛短歌を広めるきっかけとなった。第3歌集『日本人霊歌』で34年、現代歌人協会賞を受賞。 44年の『感幻楽』では中世の美をめざし、以後、さまざまな短歌の美学を展開。47年には小説『紺青のわかれ』を刊行するなど、多彩な分野に活躍の場を広げた。晩年も幻想的な歌を詠み続け、「言葉の魔術師」とも称された。 平成元年から11年まで、近畿大学文芸学部教授を務めた。2年に紫綬褒章、4年に『黄金律』で斎藤茂吉短歌文学賞、5年には『魔王』で現代短歌大賞を受賞した。 7年から16年まで、「平成の歌会」(産経新聞社主催)の選者を務めた。短歌結社「玲瓏(れいろう)」主宰。 ◆◆◆歌人、岡井隆さんの話 「私や寺山修司らと前衛短歌運動を行った仲間だが、塚本さんは年上で指導者という感じだった。ありのままの現実をうつし取るという従来の短歌に敢然と立ち向かい、虚構の世界を持ち込んだ。非常に華麗な言葉の才能を展開されたが、体制に順応しない改革は苦しい戦いでもあった。信念を貫かれた一生だった。全集15巻も出て、これからその仕事が評価され検討されることになるだろう」 6月10日(金) 大阪夕刊 |
読売新聞より引用
| 前衛短歌運動の中心的存在、塚本邦雄さん死去 前衛短歌運動の中心的存在で、戦後歌壇に強い光を放ち続けた塚本邦雄さんが、9日午後3時54分、呼吸不全のため死去した。84歳だった。 自宅は大阪府東大阪市南鴻池町2の15の4。告別式の日取りは未定。喪主は長男で作家の青史氏。 滋賀県生まれ。前川佐美雄に師事し、1949年ごろから前衛的作品を作り始める。51年刊行の第1歌集「水葬物語」は、〈革命歌作詞家に凭(よ)りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ〉など、近代短歌の枠組みを覆し、三島由紀夫、中井英夫らに絶賛された。寺山修司、岡井隆氏らと共に前衛短歌運動を推進した。 独自の美意識を持つ絢爛たる作風は、聖書など古今東西の文学・文化への造詣の深さを背景とし、社会批判や終末感が色濃い。代表歌に〈日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも〉。 現代歌人協会賞、迢空賞、詩歌文学館賞、斎藤茂吉短歌文学賞などを受賞。85年から選歌誌「玲瓏」を主宰。89〜99年に近畿大学教授を務め、92〜99年に読売新聞で短歌月評を担当した。 (2005年6月10日3時13分 読売新聞) |
河北新聞より引用
| 塚本邦雄氏死去 前衛短歌の旗手 塚本邦雄氏(歌人)9日午後3時54分、呼吸不全のため大阪府守口市の病院で死去、84歳。滋賀県出身。自宅は大阪府東大阪市南鴻池 町2の15の4。葬儀・告別式は13日午前11時半から、東大阪市荒本西1の18の2、東大阪玉泉院で。葬儀委員長は現代歌人協会理事長の篠弘氏。喪主は 長男で作家の青史氏。 1951(昭和26)年、第1歌集「水葬物語」刊行。岡井隆氏、故寺山修司氏らとともに前衛短歌運動の中心的存在として活躍し、反写実的で壮麗な日本語を 用いた歌風で「言葉の魔術師」と呼ばれた。「日本人霊歌」で現代歌人協会賞、「不変律」で迢空賞を受賞。代表歌集に「詩歌変」「不変律」「黄金律」「魔 王」など。 89年から10年間、近畿大教授。短歌結社「玲瓏」を主宰。「塚本邦雄全集」(全15巻)がある。 9日、施設で足腰のリハビリ中に食べ物がのどに詰まり、病院に搬送された。 (注)通夜は12日午後6時から東大阪玉泉院で 2005年06月10日金曜日 |
朝日新聞より引用
| 前衛短歌の旗手、歌人の塚本邦雄さん死去 前衛短歌の旗手として戦後の短歌界に大きな影響を与えた歌人で、元近畿大学教授の塚本邦雄さんが9日、呼吸不全で死去した。84歳だった。通夜は12日午後6時、葬儀は13日午前11時30分、大阪府東大阪市荒本西1の18の2の東大阪玉泉院で。葬儀委員長は現代歌人協会理事長の篠弘さん。喪主は作家で長男の青史(せいし)さん。自宅は同市南鴻池町2の15の4。 滋賀県生まれ。戦後、貿易会社に勤めながら歌人の前川佐美雄に師事し、「日本歌人」に加わった。51年に第1歌集「水葬物語」を発表。反写実、社会風刺、言葉遊びの精神が若い世代に支持された。作家の三島由紀夫、中井英夫とも親交を深めた。 56年に第2歌集「装飾楽句」を刊行。岡井隆や寺山修司らの活躍と呼応し、前衛短歌運動を定着させた。 その後も実人生の哀歓を歌う近代短歌とは別の、修辞の美の世界を追究した作品を発表し続け、58年の第3歌集「日本人霊歌」で現代歌人協会賞を受賞した。「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」などの作品で、時代の様相を虚無的に歌い上げた。01年に「塚本邦雄全集」が完結した。 歌集はほかに中世の美学を志向した「感幻楽」や「詩歌変」(詩歌文学館賞)、「黄金律」(斎藤茂吉短歌文学賞)、「不変律」(迢空賞)など。全5巻の「茂吉秀歌」、「定家百首」などの評論や、小説「紺青のわかれ」もあり、文学活動は幅広かった。90年に紫綬褒章、93年には歌集「魔王」で現代短歌大賞。 2005年06月10日11時06分 |
毎日新聞より引用
| 塚本邦雄さん:葬儀に歌人ら400人が参列 東大阪市 前衛短歌の旗手として活躍した歌人で、9日に84歳で亡くなった塚本邦雄さんの葬儀が13日、東大阪市荒本西の東大阪玉泉院で営まれた。全国から多くの歌人が参列し、塚本さんが戦後短歌史に残した足跡をしのんだ。 約400人が参列。歌人の馬場あき子さんは「時代が必要とする文学を見通す先導者であり、日本のやせた文化を挑発し、強力にけん引してくださった。行き詰まったときには、あなたの仕事を思い出したい」と弔辞を述べた。【岸桂子】 毎日新聞 2005年6月13日 12時36分 |
毎日新聞より引用
| 今朝のうた:皐月待つことは水無月待ちかぬる皐月待ちゐし若者の信念 ◇皐月(さつき)待つことは水無月待ちかぬる皐月待ちゐし若者の信念−−塚本邦雄 塚本邦雄の主宰する歌誌『玲瓏』が創刊されて今年でちょうど20年になる。毎年11月に「全国の集い」が大阪で開催され、ゲストの歌人の講演やシンポジウムが行われる。今年は11月20日、岩田正さんの記念講演のほか中堅世代の松平盟子さんと穂村弘さんの討論が予定されている。 松平さんも穂村さんも、直接に塚本邦雄の影響を受けた歌人ではない。むしろ塚本作品から離れることで自らの歌世界を構築しているといっていい。そうした「若い」世代が、「反写実」を最晩年まで貫いた稀有(けう)な歌人の作品世界をどう読み解くか、<ポスト塚本邦雄>はどうあるのか、興味深いことである。 今年はこの集いがはからずも「追悼集会」となってしまったが、20周年記念の会は予定通り開かれる。ほぼ毎年、私もこの会に招かれ、お元気な歌人の姿に接するのが楽しみだったが、それはかなわぬこととなってしまった。 ところでこの歌は、『玲瓏』の最新号(61号)の巻頭に載っている。皐月は本来は陰暦5月だが、5月は塚本邦雄の盟友だった寺山修司も愛した月だ。すべてのものが芽吹き、緑の色を増し、それとともにどこかに死への怖れをも内包する季節は、若者の季節だ。湿潤とした6月とは違う。塚本邦雄が、当時の湿気の多い歌壇や短歌作品に敢然と挑戦したように、現代の若い歌人も「5月のような信念を持ってほしい」と願ったのであろう。 手元の原稿用紙に記された新作。葬儀の当日、篠弘さんもこの歌を紹介した。(酒井佐忠・専門編集委員) 毎日新聞 2005年6月26日 東京朝刊分 |